創業からの歩み

1979年~ 日本一を目指した男の創業 

会社名「富士」の由来は、鈑金加工メーカーとして、日本一になるということでした。先代社長は、日本一の会社になって子供たちに自慢したい、そんな思いで創業しました。創業当初は、現監査役(創業者の妻)と2人でのスタートでした。

最初は、受注がなく、苦労の連続でしたが、お客様からの高度な要求に応えることで、自社の技術力が徐々に向上し、注文が増えていきました。創業者は、取引先、仕入先との関係を重視すると共に、生産技術向上への探究心や行動力を兼ね備えた人物でした。そのような創業者の口癖が、現在の企業文化を形成したと感じております。

創業者語録

  • 「金は二の次や!
    取引先、仕入先への信用が第一」
  • 「思いたったらすぐ行動」
  • 「遊びも仕事も一生懸命やれ」

1995年~ 取引先に支えられて「山よりも大きい獅子のダメージ」

創業より、16年が経過し、順調に業績を伸ばした時期に、阪神・淡路大震災に見舞われました。これにより工場は、操業不可能となりました。「山より大きな獅子が出てしまったな」と声弱く語った創業者の横顔が印象的でした。いつも前向きな創業者もこのときばかりは、ショックが隠しきれませんでした。

そのようなときに手をさし伸ばしてくれたのが取引先(仕入先、外注先)でした。当社に倉庫を貸してくれたり、仮工場を紹介してくたりしました。これにより、仮工場での生産続行が可能となりました。

その後、兵庫区に工場地を移転して再創業することができました。これにより、従業員も一人も欠けることなく事業を再開できました。仕入れ先等に助けられたことへの感謝の気持ちは、生涯忘れることはありません。お互い助け合いながら仕事をしていくことの大切さを痛感した出来事となりました。

1999年~ あらたな技術、取引先との出会い

兵庫区で再創業したものの、受注は思ったように伸びませんでした。当社は、薄板の鈑金加工を行っていましたが、工場が狭いため重量物を扱えないという問題がありました。

長田近辺で、敷地面積の広い工場を探していたそんなある日、仕入先の紹介で、重量物を扱える工場があるというお話をいただきました。これが、原山製作所です。場所は神戸市西区で兵庫区の工場からは遠いのですが、敷地面積などは申し分ありません。しかし、今までの取引先(お客様、外注先、仕入先)との距離が遠くなるというマイナス材料もありました。「今までの取引先との関係が薄れるのではないか?」と考え、随分と悩みましたが、このお話を受けることにしました。

同社の営業権(技術者も雇用継続)を譲り受けたことにより、工場の敷地は250坪と約2倍となり、重量物(厚板)を扱えるようになりました。薄板と厚板の両方の加工が自社で行えるようになり、一貫受注体制が築けるようになったことは、現在の技術面での優位性に繋がっています。また、不安材料であった、取引先との関係も工場移転前と変わることなくお付き合いいただけたことで、更なる飛躍を遂げることができました。

2007年~ 2代目社長のもと新体制がスタート

2007年4月、創業者の田邉賢一社長が急逝しました。創業者の息子である田邉敏樹氏が社長に就任し、新たなスタートを切りました。

現社長は元々技術者であり、製造現場の問題点を把握しています。このような利点を活かすため、社内の業務改善活動に力を入れていきました。また、新たな顧客を獲得するために営業活動にも力を入れています。一例を示しますと、ひょうご中小企業活性化支援センターで行われた交流会に参加し、当社がもつ厚板と薄板の両方が扱えるという技術力をアピールすることで、新たな顧客の獲得にも繋がりました。

さらに、2008年5月には、若手メンバーを中心とした合同会議を定期的に開き、お客様のニーズへの対応や、自社の生産上の課題への取り組みを議論する場を設けることにしました。

このように、激動の1年間を過ごしてきましたが、2008年6月、社長就任2年目を機に、経営理念の構築に取り掛かりました。当社には、お客様を大切にしたいという想いは、創業時よりありましたが、経営理念を明文化したものはありませんでした。経営理念を示すことで、社内外に自社の存在意義を訴えています。

2008年~ リーマンショック 100年に一度の不況へ

2008年に知的経営報告書を作成して、これから業績を伸ばして行くぞ! というときにリーマンショックが起こりました。

当社の様な零細企業が実際に影響を受けるには1年のタイムラグがありましたから、2008年は順調に業績を伸ばすことができました。しかし、2009年から2010年にかけては、日々の仕事を探さないといけないくらいに受注量が減り、中小企業緊急雇用安定助成金制度の申請をした月もありました。

そんな中、西隣の工場が空くことになり、工場を増築することができました。今までの工場では手狭になっていたので、願ってもないチャンスの到来でした。売買ではなく賃貸でという話にはなりましたが、数年後には売買するという契約で壁を貫いて工場をつなげ、1.5倍以上のスペースを得ることができました。

しかし、景気はなかなか回復せず、リーマンショックの影響を受けるのに1年のタイムラグがあったように、景気が回復する際にも1年以上のズレがありました。

ニュースでは大手企業の景気の良い話が飛び交っていても我々がそれを実感したのは、数年後のことでした。

現在リーマンショックから6年が経ち、やっと売上を2008年の水準まで戻せることができました。

不況の間に会議なども少なくなっていたので、2013年4月から品質会議を定期的に開き、お客様により満足いただける製品を提供できるように議論をしています。このたび、知的資産経営報告書2014年版の作成も平行して行っていく中で、もう一度一から当社の強みと弱みを洗い出し、強みをさらに磨き、弱みを改善し、次の5年後、10年後へ向けて前進していきます。

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